落ち着かないと書けないんです。だいたい忙しいというのは精神が忙しいのであって、それに区切りがつかないといくら時間があってもこういうのは書けない。
例のごとく何に忙しかったかという話ですが、おせちと仕出し、ですね。以前に書いた時はアイスとイボ。今回はおせちと仕出し。こうやって比べると今回のはずいぶんマトモに見える。バカをのぞきに来ている方にマトモを見せるのも失礼、という意識もアタシの中にはある。 12月がおせちで1月は仕出し。この仕出しというのはお茶会の、初釜の弁当のこと。どちらもきちんと作るのは初めてで手こずった。11月に京都に行ってめぼしい料亭の弁当を食べまくって、「あー、こういうものはタベマクルもんじゃないな」ってことだけはわかって、それで結局「いいや、自分流で」ってことになったんですが、さてその自分流となるとおいそれと「これです」というのが見あたらない。仕方がないから「モガクしかない」ということで、そういう2か月だった。 ということであらためまして、新年あけまして、おめでとうございます。 遅いね。 でも遅いってことに振り回されちゃいけないんだね。大事なのは早いか遅いかじゃなくて、自分のペースでいけてるかどうか、なんだね。悩むんだったら自分のペースを知らないことを悩むべきだ。 自分のペースがわからないと、相手に合わせるということもできない。相手に合わせる、と、相手に依存する、は全然違うんだね。依存してると自分の思い通りにならないときに腹が立つんだよね。世の中で一番みっともないことはそれを正当化することだよね。 アタシは常々腹を立てたくないと思っているんだけど、ずいぶん前からきちんと怒れないことにある種のマズサも感じている。きちんと怒る、というのは結構難しくて、自分の中に自分の基準がなければならない、説得力のある基準が。説得力というのは公平ということ。思い通りにならないことが基準だなんて思ったら大間違いで、不公平に、つまり自分のことは棚に上げていくらわめいてみてもそれは伝わらないんだね。 それでその、考えるわけです。怒っている人を目の前にして、なんでこの人怒ってるんだろう?って。そうすると、だいたいがそれは限られた人間関係から生じている怒りなんだってことに気付きます。怒ってなくても文句を言ってる場合も同じ。例えば夫婦なら夫婦、仕事なら仕事の限定された関係があって成り立っている。だからそれを放棄してしまえば腹も立たないわけで、実際には関係を放棄してしまっているのに保たれている関係、というのだって世の中にはたくさんある。もしかしたらそれは案外重要なことかもしれなくて、あらゆるものと真正面から関係を持たなくちゃいけないとなったらこりゃあ身が持たない。 でも、だね、関係があるから人間、なんだね。できる限りきちんと持ちたい、じゃんか。 このごろは穏やかな人も増えているようで、癒し系なんて言って重宝もされているけれど、穏やかだけで満足しているのかね。してない人だって結構いるんじゃないだろうか。アタシみたいに。怒らないと怒れないは違うからね。 怒りが必要な場面、というのもあるんだね。つまりそれは本気を見せなくちゃいけない時、だね。怒りというのは本気の表現でもあるんだ。そしてそれが公平という基準、に裏打ちされているべきだと思っているからさて大変。そのためにはやるべきことはやっていなくちゃならない。できていなくちゃならない。だからつまり、そう簡単には怒れない、ということにもなる。 今アタシは、そんな当たり前のことを考えながら、今年アーティストフェスタをやらないということになって湧いて出るいろいろな意見に対して向き合っている。 12月に実行委員会を開いて、2010年のアーティストフェスタはやらないことになった。来年以降はわかりませんが、ひとまず今年についてはやらない。できないと言った方が正しい。アタシはそれに対して文句はない。 文句は、言われる。よく言えるね、と思いながら、聞いている。3年間ずっとそう思いながら、聞きつづけている。 先日、市役所に行ってこれまで窓口になって対応してきてくれたTさんに報告してきた。思い返せば3年前、この人との大喧嘩からすべては始まった。 「いや、堀澤さん、はじめのうちに言っておきますけど…」 「こっちは何もわからないんです。市役所がそんな態度じゃあ人脈も経験もない市民が何かを始めることなんてできませんよ」 2時間にわたってやり合った。 「やるべきことをやらないと」 「そのやるべきことがわからないから聞いているんじゃないですか」 逆ギレ、である。できない自分を棚に上げて腹を立てている。当然そこに正統性は薄い。しかし、本気は伝わる。 今回やらないということを報告に行くことになって、やっぱりいろいろと言われると思っていた。でも実際はそうでもなかった。むしろ同情された。 「周りは勝手なことを言いますからね。これもあれもってボールを投げるだけですから。こっちは手は二つしかないって言ってやった方がいいですよ。顔で捕れって言うのか!って」 次の一言には思わず笑った。 「俺は伴宙太か!って」 これで打ち解けた。そんなもんである。 アタシは巨人の星の伴宙太なんかでは、ぜんぜんない。いや、飛雄馬の球だったら身を呈して受けると思う。しかし誰それのためらいのない暴投を捕る気はない。それは投げているのとは違う。ぶつけている、である。アチラは安全地帯にいて、ぶつけてる気なんてさらさらない。そんな時はなおさら痛い。なぜって、そこに関係が一切成り立っていないから。アメリカ軍の空爆を受けるイラク市民、の気持ちだ。不公平を正当化する、というのはそんなことであって、繰り返して言うと、それが世の中で一番みっともないことだと思っている。 バカも休み休み、というタイトルのブログを書いているアタシは、バカがとても大事なことだと思っていて、バカは一人ででもやらなくちゃいけない、と思っていて、バカはみんなでやるもんだ、と思っている。バカは、一人ででもやるやつがみんなでやるからいいのだよ。 今年アーティストフェスタをやらないことが決まって誰よりもさびしいのは、アタシである、に決まっている。 金は増えない。貧乏もここまでくると本格派か。いや、アタシの場合は技巧派だ。あえてやっているところがある。えらそうに言う話でもない。
世の中はデフレなのだという。デフレになると物価が安くなるらしい。いいことじゃないだろうか。物価が安くなっても生活に必要なモノの量というのはそう変わるもんじゃない。だから儲けは少なくなる。当然賃金も少なくなる。問題はここか。デフレスパイラルというのはつまり、貧乏スパイラルなんだきっと。 貧乏になるとどうなるのか。会社は貧乏になるとつぶれる。市場原理の中では儲かっていることが生存の条件だから、貧乏は簡単に悪になる。だからアタシの店がつぶれないのは、ちゃんと儲かっているから、ということになる。でも、ちゃんと貧乏でもある。 国も、貧乏になるとつぶれる、という人がいる。本当だろうか。国民も莫迦にされたものである。未だかつて「貧乏になろう!」と言って選挙に受かった人はいない。でも日本人は、実は貧乏に強いんじゃないかと思っている。案外まじめに思っている。 この国がこれだけ裕福になったのはたかだかここ30~40年の話である。それまではずーっと貧乏だった。貧乏はあたり前だった。自分が貧乏で許せない人、というのは、みんなが裕福なのに自分だけ貧乏なのがいやな人、なんじゃないかと思うことがある。みんなが貧乏になれば、結構日本人は平気で貧乏なのではないだろうか。 だからといって、アタシは貧乏推進派でも、貧乏愛好家でもない。貧乏でも平気、な人しか信用しないという、それだけである。貧乏でも上品、な人となると、尊敬までもしてしまう。 そんなことはどうでもいい。今日こそは寄り合いの案内を書かなくてはならない。 来る12月6日の日曜日、今年最後の寄り合いを開催します。今回は2段構えになっておりまして、第1部がマラソン大会、第2部が忘年会です。朝っぱらから走って昼間っから飲むという、裕福な人には思いつきそうにないビッグな企画です。 イボの治療で医者に通うこと、本日で5回。全治への道のりはなはだ険し。お医者曰く、「アナタのは頑固だ!」と。イボにも個性があるのか。恐れ入った。
治療は簡単。-196度の液体を患部にすり込むだけ。なんてことはない。焼きを入れる、ということである。なんて原始的なんだ。麻酔のひとつもしない。 -196度が+36度前後に触れれば音もするし煙も出る。いてぇに決まっている。でも我慢する。ガキじゃあるまいし。まだ園児らしき子供が治療に来ている。治療が終わって得意気に帰っていきやがる。おめぇだっていてぇくせに。強がる我が子の手を引く若いお母さん。「泣きたいときは泣いていいんだよ」だって。そんなやさしくされたらアタシが泣きそうだ。 -196度の液体は1つの患部に5回ずつすり込まれる。5ヶ所あればあわせて25回。アタシははじめ8ヶ所あった。今は何ヶ所だ?どういうわけか途中で増えたりしているから大して変わっちゃいない。都合200発くらいはラクに食らっている。 厄介なのは治療が終わって病院を出たあとである。3時間くらいは自分が使いものにならない。ただただ悶絶している。心臓が足の裏にもう一個できたようで、鼓動のたびに痛みが走る。どうにか落ち着いてきても相変わらず痛い。歩けないし眠れない。こうなりゃ飲むしかない。もちろん薬じゃなくて酒である。ビールを飲む。するとあら不思議、足の裏の心臓はますます活発に動き始める。あたりめぇだ。 痛みというのは人を気短かにさせる。センテンスも短くなる。べらんめぇにもなる。あ~、いてぇ。 イボというのは、詳しくは知らないが、ウィルスが原因らしい。イボ菌とでも言うのか。コイツが死滅するまで治療は繰り返される。相手だって必死だ。アタシがいるから食うに困らず生きていられるんだ。 お医者がうまいことを言った。「居住権を主張してるのかもしれないですね」言うてる場合か。でもまんざらでもない。ナニがバイキンでナニがバイキンじゃないかなんてわかりゃしない。へたすりゃ人間が最もタチの悪いバイキンかもしれないじゃないか。 こうなりゃ共存共栄、いっそのことあの世までご一緒するか。いや、でもコイツは自己顕示欲が強いから増殖する。見えないところにあるうちはまだ許せるが表に出てくるやもしれん。仕舞いにゃこどこがアタシでどこがイボなのかわからなくなるかもしれない。そんなことになったら大変だ。 次の治療はおよそ2週間後である。やけどと同じだから、痛みが治まって、新しい皮膚が出来て、表面がかさぶたになって、それが剥がれ落ちてから、次である。今から疎ましい。年明けくらいまでには何とかしたい。イボも休み休みで行くしかない。 国会。残党の怨念は郵政民営化の見直しとなって、一見すると、形勢逆転のようにも見える。
時は民主党政権。政権交代となってからの国会中継は、場に応じた自分の言葉でしゃべることのできる閣僚によって、活気づいている。その中で一人、一向に応じないままひときわ異彩を放つ人がいる。ご存じ、亀井静香金融担当大臣である。亀井さんは相変わらずへの字口のまま、やっぱり元気だ。のちに鳩山内閣は、予定調和の昭和式に終わりを告げた内閣として、そして亀井静香のいた内閣として、歴史に名を刻むかもしれない。断っておくとアタシは、人間亀井静香が好きなのである。政治家亀井静香先生は、いかんともしがたいとしか言えないが。 昭和式、ということの中にはきっと、伝統や型、というものも含まれていて、ここに内容が盛り込まれたとき、はじめて伝統や型は天下一品になる。けれども実際には型どおりでお茶を濁すことが多いから、すぐにそういうのは嘘っぽくなる。だから政治家の発言はずっと、嘘っぽかった。でももうそれは嫌です、という声は少しずつ増えていて、そのひとつの結果が、政権交代なのだと思う。 型どおりを打ち破ることはたやすいことではない。破った型を補えるだけの内容、すなわちアドリブ力という名の実力、がついてこなくてはならないから。なので型どおり、には、裏を返せば、楽して生きる、という一面も隠されていて、型どおりの中にすっぽりおさまってしまっている人たちにとってはそれが意識されにくい、という好都合もある。だから型どおりは、相変わらず蔓延する。 今や型どおりは、それが体質に合わずにハナから型を取り入れない、という傾向も生んでいる。今どきのテレビに出てくるタレント、ということで言えば、そういう風潮は顕著である。型がないから型破りにもなれない。簡単に上っ調子しか残らない。こう書いてみると、なんだか手前ぇのことを言っているような気がしてきた。型を莫迦にしちゃいけない。 型に内容を盛り込んで、ある種の型破りとして時代を動かしてきた人物は、偉大である。昭和式の中には、その中で悪戦苦闘してきた人たちだっていたわけで、内容を盛り込む、ということがどれだけ大事なことなのかは、そういう人たちを見ていれば、伝わってくる。 けれども現実は、そういう人たちが、足並みそろえて、いなくなっている。今年はどうも、そういう年のような気がしている。 と思うまでに、2ヶ月くらいかかる。ここから手をつけるまでに、さらに1ヶ月かかることもある。部屋の片付け、のことである。
年の初めの願掛けは、「整理整頓が出来るようになる」だった。今年もすでに、10ヶ月が過ぎようとしている。少なくも目の前の現状を見る限り、願いはかなっていない。 「整理整頓が出来るようになる」は、なにも部屋の片付けのことばかりではないが、現実はよくもまぁと言うしかない有様、体たらく。それをそのままほうっておくのだから、部屋の片付けの優先順位は低いのか。 今年は、「整理整頓が出来るようになる準備をする」、そういう一年で終わりそうだ。 この3年くらい、ずっとそうなのだけれど。 つまり昨年の願掛けも、一昨年の願掛けも、「整理整頓が出来るようになる」なのである。 部屋の惨状を尻目に、いそいそと映画館に出かける。ここ2週間くらい、ずいぶん観ている。すべて日本映画である。 「カムイ外伝」「悪夢のエレベーター」「クヒオ大佐」「さまよう刃」「ヴィヨンの妻」「女の子ものがたり」「手紙」。今の日本映画は多様である。 多様であることがそうさせるのか、カムイ外伝は、脚本・宮藤官九郎、監督・崔洋一ということだから見に行ってみたら、そのCGの多さに、慣れないものを試している、という感じだった。悪夢のエレベーターも、堀部圭亮初監督作品ということで、だれでも初めは意気込んでしまうのだと思うけれど、そういう意気込みが少し欲張りな演出になったりする。 ストーリーとは別のところで、漁師役の小林薫の体型に感動していた。なで肩で余分な胸の筋肉はそぎ落とされ、程よく腹が出ている。程よく、というのは、帯がしっかり締まる、という程度にである。大人の男の体型の、お手本を見つけたような気がした。 悪夢のエレベーターは、本当は、モト冬樹のオカマが見たくて行った。ハマっていた。優しさがにじみ出るオカマだった。もうひとつテンションを上げればコメディでいけると思った。立派に気持ち悪かった。 登場人物が浮き彫りになってゆくのと、ストーリーの謎解きが同時進行なのはミステリーたるゆえんだが、それを平然と伝えるのは難しい。こういうのは料理も一緒である。あれもこれもとなると、程のよさはすぐに超えてしまうから、豪華になる。そう言うと聞こえはいいが、豪華に慣れていない豪華はたやすくけばけばしくなるもので、それをみっともないとするか、わぁ素敵!とするかは人による。 ヴィヨンの妻は、根岸吉太郎監督。59歳で白髪。もう12、3年も前になるけど、見習いで働いていた料理屋によく来ていたから、知っている。そのころから白髪。いかにもモテそうな、デリケートとダンディを併せ持った、独特な雰囲気の方だった。 映画の中で、広末涼子が浅野忠信にまたがっているカットから始まる濡れ場なぞ、真骨頂である。酒に酔って浮かび上がる恐怖にあえぐ夫、浅野忠信が、浴衣の妻、松たか子の裾から手を入れてまさぐり上げる。興奮してしまうアタシ。なんだかもう同じ男として、こんなすがり方しか出来ない男の悲しさと、そんなのを見事に見せつけられちゃう自分の悲しさが交錯して、まったくあんな風に撮れてしまうのは、どういうことなのか。 作品は太宰治の小説を映画化したものだが、太宰のことであろう夫は、少し大雑把ではなかったか。監督は太宰治が嫌いなのかもしれない。 さまよう刃は、東野圭吾の小説の映画化。原作は読んでいない。でもちゃんと大人の映画だった。監督の益子昌一さんは、まだ41歳である。 手紙も、そう。東野作品。こちらは映画館ではなく、深酒がたたると夜中に起きてしまう体質になってしまったアタシが、眠れずにパソコンを開いたら無料配信中ということだったから、ありがたく、無料で観た。ワイドショー以外ではじめて観る沢尻エリカがなかなかの好演で、真夜中にひとり、泣く。おかげでそのあと、ぐっすり眠れた。 いい映画やいい小説には、いい余韻がある。それはつまり、自分で考えろ、ということなのだと思う。東野圭吾の作品はいつも、淡々としたストーリーの中で、最後には問題意識を突きつけてくる。その突きつけ方には迫力があって、突きつけてくるのが問題意識だから、後の責任はぜんぶ突きつけられたほうが背負うことになる。 それでも背負わない人は、一向に背負わないけれど。 考えるチャンス、というのは、こうして突然やってくるものだが、全部与えてくれるのが当たり前でしょ、な風潮の中では、そんなチャンスはとても少ない。いいから教えて、は、アタシって救いようもなくバカなの、と、同じなのだが。思考の放棄は自分の放棄でもある。 たとえばクヒオ大佐は、与えられるのがあたり前というのは今となっては男も女も全然あたり前なんかではないよ、と言っていた。いや、言ってはいない。でも、言っていた。 男が女に惚れる、と、女が男に惚れる、は、少し違うことになっている。男が女に、いいように振られたらただの間抜けだが、女が男に、いいように振られたらそのときは文句を言える、ということになっていた、今までは。男は女に、よくしてもらえるかどうかは男の器量次第だが、女は男に、すべからくよくしてもらうもの、ということになっていた、今までは。でももうそういう時代は終わりなのだと思う。都合のよさは都合のよさでしかないから。 そういうことをわかってゆく女の子3人の物語が、女の子ものがたり。この映画で、はじめてのシネマテーク高崎。なんだか学校の教室みたいな雰囲気で、懐かしい。 ぐうたら漫画家、深津絵里が、新米編集者、福士誠治に聞く。「ねぇ、人生が想像していたよりも重くてつらいものだとわかったのはいつ?」36歳のリアルな言葉。自分にちゃんと向き合っている人の言葉。だからこそ人生は始まりもする。そう、もはや人生は、本気で自分に向き合わないと一向に始まらないのかもしれない。負けるな、女の子! と、いうわけで、グダグダと、たまにだからってよく書くのは、欲かくからです。なるほど疲れてます。読むのだって疲れたでしょう。映画の内容や配役について、すべて勝手な感想ですから、くれぐれもコメントなどなさいませぬよう。 以上、本日の整理整頓は、これにてお終い。 本当は寄り合いの案内を書くつもりでした。
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